一線を引かないで頂きたい
私達の会社は請負という仕事をしています。
建築部門ではビル工事を請け負い、土木部門では道路工事を請け負い、住宅部門では住宅工事を設計施工で請け負っています。
「受けた時点で負けている」と書く請負、施主が強くでて上から下を見下ろしても仕方ないと、どの会社の方も考えているのだと思います。
しかし、私の部署「なかけんハウジング」での考え方は少し違います。
お施主とはあくまで心を通わせて最終的には一生のお付き合いのできる友人関係に成ることを目差しています。
設計をしているとき、お客の顔が浮かんできたら、「よしもうひと練りしてみようか」と思うものです。そうでなければいけません。
工事をするとき、お客の顔が浮かんできたら、「よし、もう少し細かく手をいれるか」となります。そうならなければいけません。
コーディネイトするとき、お客の顔が浮かんだら、「よし、もう一プラン考えてあげよう」となります。そうならなければいけません。
これらの行動は会社で決められたマニュアルを超えた、個人的に一歩踏み込んだサービスです。
その為には、心が通わなければそうは成りにくいのです。
ある面仕方の無いことです。「親しい身内、友人の仕事には力が入ってしまうもの」などは良い例です。
身内でもない、友人でもないお客に対しては、マニュアル通りの一通りの対応が普通であるはずです。マニュアルを決めそれにしたがわなければ、対応自体が低下してしまいます。
それをその先、もう一歩踏み込んだ対応、請け負けしている側の業者という立場の人には「過度の親切」という行動に成ってしまうのです。当然マニュアルを超えた「親切」は仕事が増えるといった具合に、個人の負担という重荷に成ってくるからです。
この「親切」という行動は、マニュアルを超えた行動であり、自然と出る行動です。指示命令でできるものではありません。お客様と心が通ったとき自然とでる行動です。
残念なことに企業としては、マニュアルを超えた、その上のサービスは過剰経費の行動と仕事と判断されて、マニュアルがマニュアルの意味を持たなくなります。そして企業にとって利益を生まなくなります。
しかし、いくら企業でも個人の親切を止めることはできません。
これが、私がお客様にいつももう「一線を引かないで頂きたい」理由です。
心を通わせ、協同作業で家づくりしたいと考える由縁です。
企業人であっても、人として正しい考えではないでしょうか。
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