『忙しいと自分を見失う?』
先週は土日二日とも出勤しました。
二日ほど午前様まで会社にいました。
接待で最終電車で帰宅した日もありました。
疲れもあるかなと思い、本日お休みを取ったのですが結局押している仕事を片付け、気になる現場に出掛けたら、自宅に帰って16時になっていました。
自宅に帰っても先ほどまで自宅の和室に隠り、家具図のチェックをしていました。
忙しい事は本当にありがたい事ですが、何かを犠牲にして時間を造っているに違いありません。
どうしてもゆとりが現在無いのが実感です。
廻りを見渡すだけで、観察する余裕が持てないのが悩みです。
貧乏性の私はいつも気ぜわしく何かをしている自分がいます。
仕事を廻りに出来るだけ割り振るのですが、割り振られて方も喜んで受けてはいないでしょう。
勢い出来るだけ自分でこなしています。
また、自分を頼って相談に来られる方には、窓口をどうしても私が行いと思います。そういった方の仕事の窓口は割り振ることも困難です。
日曜日に自宅に近所ので親しくしている方が来られました。屋根・外壁の改修工事の相談です。
本日は会社にオール電化の改修工事とソーラーの設置の相談が以前の私が担当して建てたお客様から電話がありました。
こういう方々には、見積もりなどはお願いしても、窓口は特に気を使って自分で対応したいと思っています。
このような毎日が続き、腰を据えて専門誌に目を通すことも、業界誌で経済情勢を気にすることも、デザイン誌を見て目を肥やすことも、なんだか怠っているような気がするのです。
整理して、優先順位を把握して、要領よく物事をこなすことは昔から得意ですので、精神的にパニックになったり、不安定になったりすることは決してないのですが、ゆとりを犠牲にしていることは確かです。
決して忙しさに流され、世の中の実態や流れを文字で理解し、周囲の状況や様子を肌で感じること、を怠らないようにしないといけませんね。そう気を引き締めている最近です。
一つのことに決して打ち込みすぎない、集中しすぎない、一歩引いて手持ち仕事を眺める、そんなことに心がけて、周囲を見る余裕を造るよう気をつけている最近です。
ありがたい話をしていますね。お仕事が廻ってくることに感謝です。
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